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愛は幻想ではない。 事実である。 生活の何らかの側面におけるパートナーとして特定の者たちを選び出し、他者とは共有したくない目的(自我の維持/獲得思考)のために彼らを利用する者たちは、罪悪感のゆえに死ぬよりは、罪悪感をもったままで生きようとしていることは確かである

 愛は幻想ではない。 事実である。 幻滅が可能なところには、愛ではなく憎悪があったのである。 なぜなら、憎悪こそがまさしく幻想であり、変化し得るものはもとより愛ではなかったからである。 生活の何らかの側面におけるパートナーとして特定の者たちを選び出し、他者とは共有したくない目的のために彼らを利用する者たちは、罪悪感のゆえに死ぬよりは、罪悪感をもったままで生きようとしていることは確かである。 これが彼らが見ている選択肢である。 そして彼らにとって愛とは、死からの逃げ道であるにすぎない。 彼らは、死にもの狂いで愛を探し求めている。 しかし、愛が喜んでそっと訪れる平安の中で探してはいない。 そして、彼らが、依然として死の恐れが自分にのしかかっていることを発見したときには、そうした愛の関係は、それがその正体とは違うものだという幻想を失うことになる。 それをせき止めていた防塞が崩れたとき、恐れはその中へとなだれ込み、憎悪が勝利をおさめる。

 

奇跡講座テキスト 第16章  四 愛の幻想と愛の実相  4.