自我を神のもとへ運ぶことは、誤りを真理へと運ぶことにすぎない。 そこにおいて、誤りが間違っていたことが認められる

 自我をのもとへ運ぶことは、誤りを真理へと運ぶことにすぎない。 そこにおいて、誤りが間違っていたことが認められるが、その理由は、それがそこで出会うものがそれとは反対のものだからである。 その矛盾はもはや存続できなくなり、誤りは取り消される。 あり得ないものの特徴がはっきりと露顕されたとき、矛盾がいつまで存続できるだろう。 光の中で消え去るものは、攻撃されるのではない。 それは真実ではないから消滅するだけである。 実相は一なるものであるはずなので、いくつもの異なった実相というものは無意味である。 それは時間や気分や偶然によって変わることはない。 その不変性が、実相を実相としている。 これを取り消すことはできない。 取り消しは、実在しないもののためにある。 そして、この事実が実在するだけで、あなたには充分である。

 

奇跡講座テキスト 第14章  九 聖性の反映  2.