「主、言い給う、復讐するはわれにあり」という言葉は誤った知覚の一つであり、それによって人は自分自身の「邪悪な」過去を神のものとしてしまう。 「邪悪な」過去は神とは何の関係もない。 神はそれを創造しなかった。 また、それを維持することもない。 神は懲罰など信じていない。 神の心がそのように創造することはない。 神はあなたの「邪悪な」行為を理由にあなたを責めたりはしない。 ましてや神があなたの「邪悪な」行為を理由に私を責めるだろうか。 このような前提がいかにまったく不可能であるか、そしてそれがいかに全面的に投影から生じているかを、必ずしっかりと認識するようにしなさい。 この種の誤りが、神がアダムを拒絶して、彼を楽園から追放したという信念や、その他の関連する多数の誤りの原因となっている。 これはまた、私があなたを間違った方向へ導いていると、あなたがときどき信じるかもしれない理由でもある。 私は歪曲することがほとんど不可能な言葉を使うように極力努めてきたが、あなたがそう望むなら象徴を曲解することはいつでも可能である。
奇跡講座テキスト 第3章 一 犠牲のない贖罪 3.