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私(キリスト)を思い出すことは、あなた自身(あなたの実相)を思い出すことであり、私(キリスト)をあなたに遣わした存在(つまり神)を思い出すことである

 一切が拒まれている世界へ、私は光としてやってきた。 世界は、単にそれ自体を一切から解離させることにより、自らに一切を拒んでいる。 したがって、世界とは孤立という幻想であり、それは、同じく幻想である孤独感を恐れることによって、維持されている。 私は、世の終わりまで、いつもあなた方と共に居ると言った。 だからこそ、私は世の光なのである。 この世界の孤独の中でも、もし私があなたと共に居るなら、孤独感は消え去る。 あなたがひとりではないのなら、孤独感という幻想は維持できない。 ということであれば、私の目的は依然として、世に勝つことである。 私は世界を攻撃しないが、世界の本質のゆえに、私の光がそれを必ず一掃する。 光は闇を攻撃しないが、その輝きは闇を消し去る。 私の光があなたと共にあらゆるところに行くなら、あなたは私と共に、光を輝かせて闇を消し去る。 その光は私たちのものとなる。 そして、あなたの行く手に闇はとどまれなくなり、あなたも闇にとどまることはできなくなる。 私を思い出すことは、あなた自身を思い出すことであり、私をあなたに遣わした存在を思い出すことである。

 

奇跡講座テキスト 第8章  四 自由という贈り物  2.