コミュニケーションを行うことはつながることであり、攻撃することは分離することである。 この両方を同じものに関して同時に行うなら、どうして苦しまずにいられるだろう。 肉体についての知覚は、単一の目的によってのみ統一できる。 これにより、肉体を多くの観点から見たいという誘惑から心が解放され、肉体が完全に一なる光にゆだねられ、その光の中で、肉体が真に理解されるようになる。 学習手段をカリキュラムのゴールと混同することは、両方の理解を妨げる根本的な混乱である。 学びは、肉体を超えて進み、肉体の中に心の力を再び確立するところまで導かなければならない。 これが達成できるのは、心が他の心へと延長していき、その延長を自ら停止しない場合に限られる。 この停止が、あらゆる病の原因である。 なぜなら、延長することだけが心の機能だからである。
奇跡講座テキスト 第8章 七 コミュニケーションの手段としての肉体 12.