妥協するとは、自分の望むものの一部だけを受け入れることであり、少しだけ取って、残りは諦めるということである。 救済(真の救済)は、何も諦めない。 妥協とは、救済が不可能だという信念である

 救済はいかなる種類の妥協でもない。 妥協するとは、自分の望むものの一部だけを受け入れることであり、少しだけ取って、残りは諦めるということである。 救済は何も諦めない。 それは誰にとっても完全なものである。 妥協という考えを入り込ませるだけで、救済は認識されなくなるので、救済の目的についての自覚は失われてしまう。 妥協が受け入れられたところでは、救済が否定される。 なぜなら、妥協とは、救済が不可能だという信念だからである。 それは、あなたが少し攻撃し、少し愛しながら、攻撃と愛の違いを知ることができると主張する。 したがってそれは、同じものの中の少しの部分が違うものとなることができ、しかもその同じものは損なわれずにひとつのものとして存続すると教えていることになる。 このようなことが意味をなすだろうか。 それは理解できるものだろうか。

 

奇跡講座テキスト  第23章  三 妥協のない救済  3.