一なる子のどの部分が抱いているものであれ、愛ある想念はどれもみな、そのあらゆる部分に属している。 それは、愛あるものだからこそ共有される。 分かち合うことが、神による創造の仕方であり、あなたによる創造の仕方でもある。 自我はあなたを神の国から追放されたままにしておくことはできるが、神の国自体の中では、自我には何の力もない。 霊に属する想念は、それらを思考する心から離れず、それぞれの間で葛藤が生じることもあり得ない。 しかし、自我に属する想念は葛藤し得る。 なぜなら、それらの想念はいくつもの異なるレベルで生じる上に、同じレベルにおいても対立する想念を含んでいるからである。対立する想念を分かち合うことは不可能である 。 あなたが分かち合えるのは、神に属する想念と、神があなたのためにとっておく想念だけである。 そして、そのようなものからなるのが、神の国である。 その他のものは、聖霊が神の国の光の中で解釈し直して、分かち合われるにふさわしいものにするまで、あなたのもとにとどまる。 それらが充分に浄化されたとき、聖霊はあなたにそれらを与えさせる。 それらを分かち合おうという決断そのものが、それらの浄化である。
奇跡講座テキスト 第5章 四 教えること、癒すこと 3.