怒りは、決して正当化されない。 攻撃には何の根拠もない。 恐れからの脱出は、ここ(この認識)において始まり、いずれ完結する。 あなたは、攻撃が当然で正当化される状況で、赦しを差し出すよう求められているのではない

 怒りは決して・・・傍点)正当化されない。 攻撃には何の根拠もない。 恐れからの脱出はここにおいて始まり、いずれ完結する。 ここで、恐怖の夢と交換に、実相世界が授けられる。 というのも、赦しはこのことの上に成立するので、ごく自然なものだからである。 あなたは、攻撃が当然で正当化される状況で赦しを差し出すよう求められているのではない。 なぜなら、そうすることは、実際にそこにあるものを大目に見ることによって罪を赦すという意味になるからである。 これは赦しではない。 というのは、それが想定していることは、「あなたによる赦しは正当化できない形で応答することになり、それにより、それは実際に為された攻撃に対する答えとなる」ということだからである。 このようにして赦しは、それに値しないところに授けられることによって、不適切なものだということになる。

 

奇跡講座テキスト  第30章  六 赦しの正当性  1.