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恐れとは常に、(真の)あなたが望むことと、(自我と同一化している今のあなたが)行うことが葛藤するときに生じる緊張のしるしである。 恐れがあるときは常に、その理由は、あなたがまだ心を(聖霊の思考体系を選択することに/つまり本気で赦すと)決めていないからである

 恐れとは常に、あなたが望むことと行うことが葛藤するときに生じる緊張のしるしである。 この状況は二つの形で生じる。 第一は、矛盾した複数の事柄を同時あるいは順に行うという選択ができるという場合である。 これは矛盾した行動を生みだす。 これはあなたにとって耐え難いことである。 なぜなら、心の中の別のことをしたい部分が激怒するからである。 第二は、自分がそうすべきだと思い行動はするが、完全にそうしたいとは思わずに行うという場合である。 これは一貫性ある行動を生み出すが、必然的に多大の緊張をもたらす。 どちらの場合にも、心と行動が調和しておらず、その結果、あなたは心底やりたいと思っていないことを行うという状況がもたらされる。 これは、強要されているという感覚をかき立て、その感覚がたいていは激しい怒りを生み出す。 そして、その後には投影が続く可能性が高い。 恐れがあるときは常に、その理由は、あなたがまだ心を決めていないからである。 したがって、あなたの心は二分されており、あなたの行動が不安定になることは避けられない。 行動のレベルにおける訂正は、第一の種類の誤りを第二の種類の誤りへと移行させることはできても、恐れを消すことにはならない。

 

奇跡講座テキスト 第2章  六 恐れと葛藤  5.