十字架刑は自我の象徴であると私は言った。 神の子の真の無罪性に直面したとき、自我は彼を確かに殺そうとしたのであり、そのとき自我が掲げた理由は、無罪性は神にとって冒涜的だというものだった。 自我にとっては自我こそが神であり、無罪性は、殺害を完全に正当化する最後の罪悪として解釈されなければならない。 このコースとの関連においてあなたが経験するかもしれない恐れはみな、究極的にはこの解釈に由来しているということを、あなたはまだ理解していない。 しかし、それに対する自分の反応についてよく考えてみれば、それが事実だと次第に確信するようになるだろう。
奇跡講座テキスト 第13章 二 無罪の神の子 6.