一緒に居れば、あなた方が共に受け継いでいる賜物が思い出され、あなた方の両方によって受け入れられる。 ひとりでは、それはどちらに対しても否定される。 依然として先導するか、後に従うかのどちらかにこだわっている間は、あなたが自らの傍らには誰もおらずひとりで歩いていると考えるということは、明らかではないだろうか。 これはどこにも至らない道である。 なぜなら、一人で歩いている限り光が与えられることはあり得ず、したがって、あなたには自分がどこに向かって進んでいるのかが見えないからである。 そうして、あなたが闇の中をひとりで、前や後ろによろめきながら進んでいる間、混乱と、果てしない疑惑の感覚がつきまとう。 しかし、それらも、その旅とは何であるか、およびそれがどのような旅となるべきかについての外観にすぎない。 というのも、あなたの傍らには、その道を確信し、確かな足取りで一歩ずつ進めるようにと光を掲げている存在が居るからである。 目隠しは実際にあなたの視覚を遮ることはできるが、道そのものを暗くすることはできない。 そして、あなたと共に旅する存在は光をもっているのである。
奇跡講座テキスト 第31章 二 キリストと共に歩む 11.