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自我は分析し、聖霊は受け入れる。 受容を通してしか、全一性が賞美されることはない。 分析するとは、分解したり、析出したりすることを意味する。 分解することによって全体性を理解しようとする試みは、明らかに、すべてのものに対して自我が適用している自我に特有の矛盾したアプローチである

 自我は分析し、聖霊は受け入れる。 受容を通してしか、全一性が賞美されることはない。 というのも、分析するとは、分解したり、析出したりすることを意味するからである。 分解することによって全体性を理解しようとする試みは、明らかに、すべてのものに対して自我が適用している自我に特有の矛盾したアプローチである。 自我は、力と理解と真理が分離の中にあると信じており、この信念を確立するために攻撃しなければならない。 自我はこの信念を確立することは不可能だということを自覚せず、分離こそが救済だという確信に取りつかれているので、知覚するすべてのものをつながりのない小さな部分へと分解し、有意義な相互関係を欠いた無意味なものとすることによって、それらを攻撃する。 自我はいつでも意味を混沌で代用する。 なぜなら、分離が救済であるのなら、調和は脅威となるからである。

 

奇跡講座テキスト 第11章  五 自我の「力動論」  13.