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『奇跡講座』が難解な理由としては、キリスト用語や独自の意味付けのある用語の使用、古い言い回しなどありますが、特に次のことにあると思います。
それを今日はお話したいと思います。
この世界の視点だけでは理解することができない
『奇跡講座』は、この世界の視点だけでは理解することができない箇所がいくつもあります。
書かれているこの言葉が、いったい何を指しているのか、どれを意味しているのか、どのことを指し示すのか。
これは実践してこの世界を超えたところを実際に見る体験(普遍的体験)を通してしか、理解することができないものです。
これが、『奇跡講座』が難解といわれる理由だと考えます。
普遍的体験(奇跡体験)を通して真に理解するほどに、書かれている内容が明瞭になっていきます。
普遍的体験がなければ、不明瞭なままに留まります。 読むだけで実践が伴わなければ、奇跡講座にも記述があるようにただの抽象概念の羅列にとどまります。
このことについては、『奇跡講座』の「まえがき」に以下のような記述を見つけることができます。
- 「理論よりも実践、体験を重視」
- 「普遍的な体験は、可能どころか、必要」
- 「実際の適用練習なくしては、『テキスト』は抽象概念の羅列にとどまる」
参考:『奇跡講座』の基本の読み方 3. 「まえがき」を理解する
実践をしないと「テキスト」を読んでも意味はない
実践が伴って初めて「テキスト」を読む意味が出てきます。 実践をせずに「テキスト」を読んでも意味を成しません。 抽象概念の羅列にとどまる、つまりほとんど何も理解できないということになります。
「ワークブック」が提供する実際の適用練習なくしては、「テキスト」はおおむね抽象概念の羅列にとどまり、このコースが目指す思考の逆転をもたらすには不十分である。
奇跡講座テキスト 『奇跡講座』まえがき ◆◆◆構成 より