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(心にある真の)原因を除いたまま結果(だけ)を癒しても、単に結果を別な形に変えることができるだけである。 これは、解放ではない

 奇跡が可能となるのは、原因とその結果が離されたままにされず一つところに運ばれるときである。 原因を除いたまま結果を癒しても、単に結果を別な形に変えることができるだけである。 これは解放ではない。 神の子は、完全な救いと罪悪感からの脱出以下のものでは決して満足できない。 なぜなら、それ以下であれば、彼は依然として自分が何らかの犠牲を払うことを要求し、そうすることによって、一切が彼のものであり、いかなる種類の損失も彼を限定していないということを否定するからである。 ほんの小さな犠牲であっても、その結果においては、犠牲という考え方の全体と同じである。 どのような形であれ損失が可能だとするなら、神の子は不完全なものにされ、彼自身とは違ったものにされている。 また、彼が自分自身を知ることはなく、自らの意思も認識することはないだろう。 彼はおよび自分自身を否認することを誓い、憎しみの中で両者を敵にしたのである。

 

奇跡講座テキスト  第26章  七 赦しの法則  14.