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神の想念は、自我にとっては受け入れがたいものである。 それらは、自我自身が存在していないことを明らかに示すものだからである

 自我の不均衡状態の主な原因は、肉体と神の想念を区別する弁別力が自我には欠落しているということにある。 神の想念は自我にとっては受け入れがたいものである。 なぜなら、それらは、自我自身が存在していないことを明らかに示すものだからである。 したがって、自我はそれらを歪曲するか、または、それらを受け入れるのを拒むかである。 しかし、自我にはそれらの存在を消し去ることはできない。 したがって自我は、肉体にまつわる衝動の中の「受け入れがたい」ものを隠蔽しようとするだけでなく、神の想念をも隠蔽しようとする。 なぜなら、両方とも自我にとっては脅威だからである。 脅威に直面したとき、主に自らの存続にしか関心がない自我は、どちらも同じものと知覚する。 両方を同じものと知覚することによって、自らが払拭されてしまうことから自分を救おうとしている。 そして、智識を前にすれば自我が払拭されることは確実である。

 

奇跡講座テキスト 第4章  五 「自我と肉体」という幻想  2.