いまだに残る奇跡にまつわる恐れを消し去るには、もう一点、完全に明らかにしておくべきことがある。 贖罪を確立したのは、十字架刑ではなく復活である。 数多くの誠実なキリスト教徒がこの点を誤解してきた。 欠乏への信念に囚われていない者であれば、このような間違いを犯すことはあり得ない。 確かに、転倒した観点から十字架刑を眺めるなら、あたかも神が、神の子のひとりが善良であったという理由で受難することを容認し、それを奨励さえしたかに見える。 このとりわけ残念な解釈は投影から生じたものであるが、それにより数多くの者たちが神を激しく恐れるようになった。 このような反宗教的概念が、多くの宗教に入り込んでいる。 だが、真のキリスト教徒ならここで立ち止まって、「いったい、このようなことがあり得るだろうか」と自問するはずである。 神ご自身の言葉が、神の子にふさわしくないと明確に述べているようなことを、神ご自身が考えたりするだろうか。
奇跡講座テキスト 第3章 一 犠牲のない贖罪 1.
