知覚が存在している間は、祈りの存在理由はある。 知覚は欠乏に基づいているので、知覚する者たちは贖罪を完全に受け入れてはおらず、自らを真理にゆだねていない。 知覚は分離した状態を土台としているため、少しでも知覚している者なら誰でも、癒しを必要としている。 知っている者にとっては、祈りではなく聖餐が、自然な状態である。 神と神の奇跡は不可分である。 自らの光の中に生きる神の想念は、なんと美しいことだろう! あなたの真価は疑いようのないものであるから、知覚を超えるものである。 さまざまに異なるいくつもの光の中であなた自身を知覚するのはやめなさい。 一なる光の中で、あなた自身を知りなさい。 そこでは、あなたという奇跡が完全に明らかである。
奇跡講座テキスト 第3章 五 知覚を超えて 10.