気がかりや心配や不安がなく、いついかなる時も凪のように穏やかでいるとはどのようなことか、あなたに想像できるだろうか。 だが、それが時間の目的である。 すなわち、それを学ぶため、そしてそれだけを学ぶために、時間がある。 神の教師は自らの教えがあなたの学ぶすべてとなるまで、自らの教えに満足できない。 あなたが一貫して聖霊だけから学ぶ者となるまでは、聖霊は教える機能を果たしたことにならない。 そのように学ぶ者となったとき、もはやあなたには教師も、学びの環境としての時間も、必要なくなる。
奇跡講座テキスト 第15章 一 時間の二つの用途 1.