知覚する能力が、肉体というものの存在を可能にした

 知覚する能力が、肉体というものの存在を可能にした。 知覚するには、何かを、何かで知覚しなければならないからである。 だからこそ、知覚においては、智識には必要のない置き換え、すなわち翻訳が伴うのである。 知覚による解釈機能は創造の歪曲された形であるが、その機能により、その後、あなたは自分で引き起こした葛藤から逃れようとして、自分自身を肉体だと解釈することができるようになる。 霊は知っている存在であり、このような力の喪失とは両立できない。 霊には闇はあり得ないからである。 これにより、霊は、その心にとってほとんど接近不可能なものになり、肉体にとっては完全に接近不可能なものとなる。 その後は、霊が脅威として知覚されるようになる。 なぜなら、光は、単に闇が存在しないと示すだけで、闇を廃するからである。 真理は常に、このようにして誤りを克服する。 これは積極的な訂正のプロセスではあり得ない。 私がすでに強調した通り、智識は何も行わないからである。 それは攻撃する主体と知覚されることはあっても、攻撃することはできない。 あなたが霊による攻撃と知覚するものとは、一度も破壊されたことのない智識はいつでも思い出されることが可能だという、あなた自身の漠然とした認識である。

 

奇跡講座テキスト 第3章  四 誤りと自我  6.