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この(肉体が提供すると思われる/つまり偶像の)価値を平安(赦し/贖罪)が自分から奪ってしまうと、あなたは考える。 この「犠牲」は、あまりにも大きすぎて、そこまで自分に(赦し/贖罪を)求めることはできないと、あなたは感じている

 この価値を平安が自分から奪ってしまうと、あなたは考える。 この価値を平安が取り上げ、自分を住む家のない者にしてしまうと、あなたは信じている。 そしてあなたが平安に対して家を拒否しようとするのは、そのせいである。 この「犠牲」はあまりにも大きすぎて、そこまで自分に求めることはできないと、あなたは感じている。 それは犠牲だろうか。 それとも、解放だろうか。 肉体の中に救済があるというあなたの奇妙な信念を正当化するどんなものを、肉体が実際にあなたに与えてきただろうか。 これは死への信念だということが、あなたにはわからないのだろうか。 ここに、贖罪を殺害として捉える知覚の焦点がある。 ここに、愛は恐れであるという考えの源がある。

 

奇跡講座テキスト  第19章  四 平安への障害  B. 第二の障害 ― 「肉体は、それが提供するもののゆえに価値がある」という信念  2.