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自我の接待主としてのあなたは、自分のすべての罪悪感をいつでも好きなときに与えてしまう(投影する)ことによって、平安を購入する(手に入れる)ことができると信じている

 自我の接待主ホストとしてのあなたは、自分のすべての罪悪感をいつでも好きなときに与えてしまうことによって、平安を購入することができると信じている。 そしてその支払いをするのはあなたではないように見える。 自我が支払いを要求することは明らかだが、それは決してあなたに対して要求されているようには見えない。 自分で自我を招いたあなたは、自我が裏切るのは自分を自我の接待主ホストだと思っている者たちだけだということを、認識したがらない。 これが認識されると自我には住む家がなくなるので、自我は決してこのことをあなたに知覚させようとしない。 というのも、その認識が次第に明確になり始めると、あなたに見破られないために自我がほどこすどんな形の偽装も、あなたを騙せなくなるからである。 それぞれの形は、それらすべての背後に隠されている一つの考えの被いに他ならないと認識される。 それは、次のような考えである。 愛とは犠牲を要求するものであり、それゆえに、攻撃と恐れから切り離せないものである。 罪悪感が愛の代価であり、それは恐れによって支払われなければならない。

 

奇跡講座テキスト 第15章  十 再生の時  6.