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(自我の誤った)信念による以外に、想念を肉体とすることはできない。 想念は物理的なものではないからである。 しかし、想念とはコミュニケーションであり、そのために肉体を使うことは可能である。 これが肉体のための唯一の自然な用途である。 肉体を不自然に使うということは、聖霊の目的を見失うことである

 聖霊は、「言葉(すなわち想念)が肉体となった」と述べている。 厳密に言えば、それは不可能である。 それはひとつのレベルの現実を別なレベルの現実へと翻訳することを伴うかに見えるからである。 いくつかの異なったレベルの実現というものは、ただ存在するように見えるだけである。 それはちょうど、異なったレベルの奇跡が存在するかに見えるのと同じである。 信念による以外に、想念を肉体とすることはできない。 想念は物理的なものではないからである。 しかし、想念とはコミュニケーションであり、そのために肉体を使うことは可能である。 これが肉体のための唯一の自然な用途である。 肉体を不自然に使うということは、聖霊の目的を見失うことであり、それにより、聖霊のカリキュラムのゴールに混乱が生じるということである。

 

奇跡講座テキスト 第8章  七 コミュニケーションの手段としての肉体  7.