(罪であれ赦しであれ、選択する)心は、自らを見ている通りに、自らの創造主(神、あるいは自我自身)のことを思わざるを得ない。 兄弟が赦しに値するということが理解できれば、あなたは、赦しは彼の権利であるのと同じくあなたの権利でもあることを学んだのである

 これは、罪の感覚を生かし続けるために世界が用いる偽りの赦しである。 そしてを義なる存在と認識すれば、による赦しが実在するということはあり得ないように思える。 このようにして、赦しを不相応なものと見ることは確実にに対する恐れという結果をもたらす。 自分自身を有罪と見なす者はみなを恐れずにはいられない。 しかし、もし彼が赦すことができればこのジレンマから救われる。 心は自らを見ている通りに、自らの創造主のことを思わざるを得ない。 兄弟が赦しに値するということが理解できれば、あなたは、赦しは彼の権利であるのと同じくあなたの権利でもあることを学んだのである。 また、あなたは、兄弟にふさわしくない恐ろしい裁きをがあなたに下そうと意図していると考えることもない。 なぜなら、あなたにふさわしいことは彼にふさわしいこと以上でも以下でもないということが、真実だからである。

 

奇跡講座テキスト  第30章  六 赦しの正当性  4.