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奇跡講座は宗教なのか、宗教ではないのか。 F.I.P.(内なる平安のための財団)の見解では宗教ではないと否定しています。 そもそも宗教法人などの宗教の定義が国レベルで定まっていません。 信じることを必要とするものはすべて宗教だとするなら奇跡講座も国家も宗教となりますが、「1.教義がある 2.教祖がいる 3.集金システムがある」これを満たすものを宗教とするなら、1.はあるが2.3.は該当しませんので奇跡講座は宗教ではないと言えるでしょう。
宗教か宗教でないかを気にされるのであれば、世間の宗教に対するイメージに引きずられてしまっているか、そうでなければ宗教かどうかが問題なのではなく、悪徳かどうかを気にされているのかもしれません。 悪徳宗教は不安を煽り、恐怖コントロールを駆使します。 「そうしないと恐ろしいことになるよ」と。 一方、奇跡講座は「そもそも恐れは存在しない※、あるとするならあなたは幻想を見ている」という教えです。 これは奇跡講座の教義です。 この一点を見ても、悪徳宗教とは一線を画す教えということになります。
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※ 恐れを感じている自分自身に対して「恐れはないんだ!」と言い聞かせ納得させることではありません。 恐れは幻想だと言って無視することでもありません。 そうではなく、その恐れをよく見て恐れ自体が勘違いだったと気づくことで恐れを解放する、つまり恐れは幻想だったと見抜く”幻想直視”が奇跡講座の核の教えです。
また、昨今の宗教二世信者の脱会トラブルなどを見ますと、本人の意志を尊重することなく親などから強制的に教えを押し付けられるところに問題があるように思われます。 本人の主体性を発揮すること自体が封印され、奪い取られてしまっているケースです。 これは強引な勧誘や引き留めにも言えることです。 これらは多くの問題を生じさせます。 このことについては宗教に限らずともどの家庭でも起こり得ることですし、実際に起こっていることです。 どんな教えや考え方であっても、本人の意志の尊重が最も重要です。 奇跡講座も同様です。 奇跡講座では、赦しであっても今の自分がまだ赦したくないのであれば、その意志に沿うようにと教えています(神は干渉しない)。 そもそも意志に反して赦しに取り組んだとしても赦しは機能しません。 それは不可能なことです。
どの教えにも言えることですが、奇跡講座もそれを教える団体と称して組織化され教祖を立て、奇跡講座らしきものを教えるところが出てくる可能性は否定できません。 恐怖コントロールを始めるところが出ないとも限りません。 教えを強要し、奇跡講座から離れることを許さないところが出現するかもしれません。 これはもはや奇跡講座ではありませんが、奇跡講座を騙ってこのような活動を行うところが生じる懸念は他の教えと同様にいつでもあります。(今のところは見かけませんが。)
ちなみに奇跡講座では、宗教に嫌悪感を持つなら宗教それ自体が赦しの対象です。 さらに、悪徳とされる宗教に関しても赦しの対象として扱います。
(※この記事は2024年2月1日と2024年4月13日に加筆されました。)