神と肉体を混同するような思考体系はどれも狂気でしかあり得ない。 だが、自分にとって脅威か否かという視点でのみものごとを判断する自我にとっては、この混同が必要不可欠である。 ある意味では、自我が神を恐れているということは少なくとも論理的である。 というのも、神という考えは確かに自我を一掃してしまうものだからである。 しかし、自らがこんなにも密に一体感をもっている肉体を、自我が恐れるというのはまったく意味をなさない。
奇跡講座テキスト 第4章 五 「自我と肉体」という幻想 3.
神と肉体を混同するような思考体系はどれも狂気でしかあり得ない。 だが、自分にとって脅威か否かという視点でのみものごとを判断する自我にとっては、この混同が必要不可欠である。 ある意味では、自我が神を恐れているということは少なくとも論理的である。 というのも、神という考えは確かに自我を一掃してしまうものだからである。 しかし、自らがこんなにも密に一体感をもっている肉体を、自我が恐れるというのはまったく意味をなさない。
奇跡講座テキスト 第4章 五 「自我と肉体」という幻想 3.