· 

自分が見ているものを、信じないということは不可能だが、自分が信じていないものを見るということも、同じく不可能である。 知覚(認識による理解)は経験を基にして構築され、経験は信念となる。 信念が定着するまで、知覚は安定しない。 事実上、あなたは自分が信じているものを見るのである

 自分が見ているものを信じないということは不可能だが、自分が信じていないものを見るということも、同じく不可能である。 知覚は経験を基にして構築され、経験は信念となる。 信念が定着するまで、知覚は安定しない。 ということであれば、事実上、あなたは自分が信じているものを見るのである。 これが、私が「見ずして信ずる者は、幸いなり」と言ったときに、意味していたことである。 復活を信じる者たちはそれを見ることになるからである。 復活とは、自我に対するキリストの完全な勝利であり、それは攻撃ではなく超越による勝利である。 なぜなら、キリストは確実に、自我とそのすべてのわざを超越し、のみもとと神の国に昇るからである。

 

奇跡講座テキスト 第11章  六 救いへの目覚め  1.