· 

自分が罪であると考えている心には、一つの目的しかない。 それは、肉体を罪の源にすることである

 自分が罪であると考えている心には一つの目的しかない。 それは、肉体を罪の源にすることである。 すなわち、心は自分が選んで保護している牢獄の中に自分の罪を閉じ込め、自分自身を、そこから遠ざけておく。 そうして自分を眠れる囚人とし、獰猛な唸り声をあげる犬のごとき憎悪や邪悪さ、病気や攻撃、苦痛や老化、悲嘆や苦悩といったものの囚われの身としておくのである。 ここに犠牲の想念の数々が温存される。 なぜなら、ここでは罪悪が君臨し、世界に対しそれ自身と同じような場所となることを命じるからである。 それは、いかなるものも慈悲を見出すことはできず、殺害と死によってしか、恐れの破壊行為の中を生き残ることができない場所である。 ここではあなたは罪となっており、罪は喜びに満ちた自由な者たちに我慢できない。 彼らは罪が殺さなければならない敵だからである。 罪は死の中に温存され、自らが罪であると考える者たちは、自分自身の本性だと思っているもののために死ななければならない。

 

奇跡講座テキスト  第31章  三 自らを責める者  5.