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心眼が否定されるとき、原因と結果の混同が避けられなくなる。 そうなると、今や、(心の中にある)結果をもたらした原因を覆い隠しておき、結果のほうを原因のように見せかけることが目的となる

 心眼ヴィジョンが否定されるとき、原因と結果の混同が避けられなくなる。 そうなると、今や、結果をもたらした原因を覆い隠しておき、結果のほうを原因のように見せかけることが目的となる。 結果のこうした見かけ上の独立性は、結果をそれ自体で存在するものと見なすことを可能にする。 そうして結果は、その作り主がそれが引き起こすと思っている出来事や感情の原因としての役割を果たせるようになる。 以前に私たちは、自分で自分の創造主を創り出して、その創造主の子ではなく父になりたいというあなたの欲求について語ったことがある。 これはそれと同じ欲求である。 神の子結果であるが、その原因を彼は否定したいと望んでいる。 それゆえに、彼自身が実在の結果をもたらす原因であるかに見える。 いかなるものも、原因なくして結果をもたらすことはできず、この二つを混同することは、単にその両者を理解しそこなうことにすぎない。

 

奇跡講座テキスト  第21章  二 視覚に対する責任  10.