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「感情の正確な意味は何か」。
これは、コースにかぎった話ではありません。
すべてのスピリチュアルを語る上で外せない話です。
もっと言えば、人生すべてに関係する話です。
私たちの感情はあまりにも誤解されています。
「自分の感情に従う」
このフレーズがどれほど誤解されてしまっているか。
基本的なところはすべて【基礎理解編1】奇跡講座『赦し』の基盤を知る(動画)で話されている内容です。
きょうはそれを補足する話になります。
感情の仕組みを理解する
感情の仕組みはこうです。
まずは、真の自分と今の自分の存在を理解する必要があります。
真の自分を理解する
真のあなたは、神の被造物とされる存在です。
この物理的な肉体ではなく、奇跡講座で言うところの『霊』です。
そしてそれは想念です。 神なる想念の延長であり、神の子であり神の被造物です。
これは、神の性質を受け継ぐ存在で、実在です。
恐れを持たない欠けたることのない完全無欠な存在です。
それ自身で幸せであり、幸せのために何かを必要とする存在ではありません。
私は神が創造したままの私である。 神の子にはどんな苦しみもあり得ない。 そして私は、まさしく神の子である。
奇跡講座テキスト 第31章 八 もう一度、選び直しなさい 5. より
今の自分を理解する
一方、今のあなたは真のあなたを反映する面を持ち合わせているだけでなく、偽りのあなたを反映する面をもあわせ持つ存在です。
この偽りのあなたは実のところ、実在しません。
存在しない、ということです。
この偽りの自己は、根源的自我による自我自身を維持継続する戦略により生じています。
根源的自我は勘違いから生まれています。 幻を見ている。 つまりは幻想です。
幻想が解かれればそれは消えます。 つまり存在しない、実在ではないということです。
よって今のあなたは、真の自分を反映する面と偽りの自分を反映する面とをあわせ持った存在、ということです。
世界を見る二つの見方があなたの心の中にあり、あなたの知覚が、あなたが選んだ導きを反映することになる。
奇跡講座テキスト 第12章 七 内側を見る 5. より
感情の意味
感情の意味はこうです。
それは、真のあなたと今のあなたが常に比較されています。
これは想念のレベルです。
考え方、信念のレベルで比較されています。
それが一致していれば、平安が保たれます。
不一致の場合は、その度合いに応じて感情が反応します。
ネガティブな感情として反応しますが、偽りのボジティブ感情としても反応する場合があります。
いずれにしても偽りの感情です。
自我が解消されればこの感情もまた解消されていくものです。
ですので、ほんとうのところあなたは常に満たされていて平安です。
どの想念にも目的があり、その目的は常に、その本質から自然に現れる結果である。 自我に由来する一切は、自我の中心的信念から自然に現れた結果であり、その結果を取り消す方法は、単に、その源があなたの真の本質にそぐわない不自然なものだと認識することである。
奇跡講座テキスト 第11章 五 自我の「力動論」 5. より
ネガティブな感情の意味
平安以外、つまりネガティブな感情は、真の自分と今の自分との信念のずれにより起きています。 ずれがあるのであれば、今の自分は自我から生きている、すなわち恐れから生きているということになります。
真の自分は完全完璧、恐れを持ちません。 その恐れを持たない真の自分とずれているということで、本来持つはずのない恐れを誤った信念によって生み出してしまっている、ということになります。
この信念がどこから生じているのかを丁寧に見て、誤りに気づきましょう、発見しましょう、となります。
発見されれば、それは勘違い、すなわち幻想でしたので、即時解除されます。
その瞬間、真の自分と今の自分が一致したので、恐れから解放されます。 恐れがなくなります。 ネガティブな感情は消え去ります。
繰り返しになりますが、これを行うことが「赦し」であり、この自我を丁寧に見ることを「幻想直視」、発見されて解除されることを「奇跡」、それにより即時に「癒し」が訪れます。 そしてこれらの完了を「贖罪」と奇跡講座では呼んでいます。
奇跡講座においてネガティブな感情は、赦すべき何かがありますよ、赦しましょう、という意味になります。
恐れとは常に、あなたが望むことと行うことが葛藤するときに生じる緊張のしるしである。
奇跡講座テキスト 第2章 六 恐れと葛藤 5. より
あなたが恐れているとき、あなたはすでに誤った選択をしている。 それゆえに、自分にその責任があると感じているのである。
奇跡講座テキスト 第2章 六 恐れと葛藤 3. より
不快感は、訂正の必要を自覚させるために引き起こされるにすぎない。
奇跡講座テキスト 第2章 五 奇跡を行う者の機能 7. より
「自分の感情に従う」の危うさ
感情の仕組みが分かったなら、「自分の感情に従う」危うさも理解頂けると思います。
そのまま文字通り受け止めるなら、偽りの自分から生じている偽りの感情に従っていることになり、偽りの感情はそのルーツは自我自身の存続のためのものですから、目も当てられないことになります。 ひどいことになります。
自我の計画は意味をなさず、うまくいかない。 自我の計画に従えば、あなたはあり得ない状況に自分自身を置くことになるだけである。
奇跡講座テキスト 第9章 四 聖霊による赦しの計画 4. より
ですので、真の「自分の感情に従う」としての意味は、偽りの感情でない真の感情に従いましょう、という意味になります。
これが、引き寄せなどで言われている「ワクワク」を言い表しているのだと思います。 つまり実のことろ「ワクワク」=「平安で穏やか、満たされた気持ち」です。
「ワクワク」と「平安で穏やか、満たされた気持ち」が釣り合わない気がしますが、それは日頃から不安、ネガティブな気持ちをベースにしていると、平安で穏やか、ニュートラルで満たされた気持ちはその差、ギャップからポジティブな印象に映ると思います。 それを「ワクワク」と称していると見ています。
愛と愛情は違う
これはもうほとんど応用編です。
「愛情」で動くと、結果ひどいことになることが多いのはなぜでしょうか。
愛からくる純粋な思い、条件が伴わない、両面感情を持たないただそうしたいといったものであれば問題はありません。
しかし、たいていのものはうまくいきません。
それは「情」から来ている感情だからです。
これは『源』の問題です。(関連記事:赦しのトレーニング)
一見「情のある人」などといった表現は、良いことのように思えます。
丁寧に見ていくと、「弱さ」から来ていることがわかります。
これは真の自分からのものではありません。
ですので結果は明らかです。