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長年取り組んできた三書、『奇跡講座』、『引き寄せの法則』、『神との対話』の統合解読が完了した。
頭ではなく体験があるか。
概念が体験としての裏付けがあるか。
実際に体験をもってはっきりとそうだと認識することが重要。
「もしあなたがそれを知らなければ、それは全然あなたには役に立たない」(『あなたの世界の終わり』アジャシャンティ著 P.134 より)
その最終的にたどり着いた場所について書く。
3大スピリチュアル書は表現が違うだけで同じことを言っている
結論、三書すべて同じことを言っている。
- この世界は自分の根にある思考(信念)によって自分が作っている
- この信念は2種類に分類される。愛か恐れか
- 恐れの信念は気に入らない世界を見せる
- 外の世界が気に入らなければ世界を変えようとするのではなく、自分の中にある誤った信念を認識し、正せばいい。そうすれば解決する
どれもどこかで聞いた使い古された教えかもしれない。
実際の体験として明確に認識できることが重要。
「問題は、私たちはそれを知っていますか、私たちはそれを覚醒しましたか、ということです。」(『あなたの世界の終わり』アジャシャンティ著 P.134 より)
出来事をたどって自分のどの信念がまさしく世界を作っているのかをはっきりと認識しないかぎり、前には進めない。
いたってシンプル。 だが簡単とは言わない。 超絶思考の訓練が伴う。
『奇跡講座』にやり方の記述がない理由
長年、『奇跡講座』をいくら丁寧に精読しても具体的なやり方の記述がないことに戸惑っていた。
結論としては、幻想を作っている誤った信念にたどりつくのであれば方法は
どんなやり方だっていい。
不本意な出来事、つまり気に入らない嫌な出来事は「幻想」であり、これを生じさせている自我由来の信念、卑小な信念を見つけること。 つまり幻想直視。
これはどんな方法であっても構わない。 だから『奇跡講座』には具体的な記述はない。
また、この自我由来の信念つまり誤った信念を取り消し、訂正することを「奇跡」と呼ぶが、これは本気の意図(意欲)が必要。
本気で手放すと心が決まったとき、それは行われる。
それまでは何度でも誤った信念からその世界を作り出してそれを見ることができる。
苦痛(ネガティブな感情、罪悪感)を感じることができる。
はっきりとこの世界は自分が作り出していた、このことに気づくこと。
そう宣言できること。
そして何度も見て「もう十分だ」と本気で思えたとき、ようやくそれが変えられる可能性が開く。
結局、赦しは幻想直視に終始する
前述の結論として、結局のところ「どんなやり方だって構わない」。
気に入ったものを採用すればいい。
信念の変更、観念の書き換え、認識の変更、などなど多くの場所で提供されているのが見て取れる。
当方では幻想直視メソッドがそれに該当する。
私がやったように自分で編み出すのもいいだろう。
他の人が提供しているものを採用するのもいいだろう。
なんだって構わない。
私自身、赦しそのものに集中していたため、赦しに見る「幻想直視」が一般的に言われている信念の訂正でもある※ という認識にたどり着けていなかった。
赦しとは信念の訂正だと気づいた今、多くのやり方があることに気がつく。
人それぞれ適切な方法があり、またその方法も数多くあると思う。
そして最後は方法ではなく、「意欲」が鍵を握る。
どんなやり方でもメソッドでも、どうやっても途中までしか手伝えない。
赦しの成否は最終的には私たち一人ひとりの「本気の意図」に左右される。
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※ やっていることは同じだが、信念のさらに奥にある根源的な信念を訂正することに焦点を当てている。
明確になった今、最終的にやることは赦し、つまり幻想を直視すること
結局のところ最終的には信念の訂正、つまり幻想直視に終始する。
自我に気づき、誤った信念を訂正することで本来の自分に戻す。
そのために人生を活用する。
まさに『奇跡講座』で語られていることそのもの。
私たちの任務は、すべての妨げをまっすぐに見つめ、それを厳密にありのままに見るという必要不可欠なプロセスを続けていくことだけであり、しかもできるだけ速やかに続けていくことである。 というのも、自分が望んでいると思っているものについて、それがまったく満足をもたらさないものだと認識することは不可能だからである。
奇跡講座テキスト 第15章 九 聖なる瞬間と神の魅力 2. より
ようやく自分の中で三大スピリチュアル書の統合が完了した。
『奇跡講座』から学ぶことはこれ以上無くなった。
次の記事ではこれらについて『奇跡講座』にある記述を取り上げる。
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