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自我とはいったい何かと言えば、神の子自身の意志を抜きにして、すなわち、彼自身の意志と不可分の創造主(神)の意志を抜きにして、神の子に何かが起こり得るという考えに他ならない

 おそらく、あなたにはこのささやかな捧げ物を差し出す必要が見えていないのだろう。 それならば、それが何であるかをもっと近くで見なさい。 そして、ごく単純に、その中に、分離から救済への交換の全貌を見なさい。 自我とはいったい何かと言えば、神の子自身の意志を抜きにして、すなわち彼自身の意志と不可分の創造主意志を抜きにして、神の子に何かが起こり得るという考えに他ならない。 これが、神の子が自らの意志の代わりとしたものであり、永遠に存在するものに対する狂った反逆である。 これは、を無力にしてその力を自分のものとし、が自分に意志したものをもたずにいるだけの力が自分にはあるという声明である。 これが、あなたが自らの祭壇に安置して、崇拝している狂った想念である。 そしてこれを脅かすものはすべて、あなたの信を攻撃しているように見える。 なぜなら、あなたの信はここに置かれているからである。 自分は何も信じていないと思ってはならない。 なぜなら、この点におけるあなたの信念と信頼はまことに強いものだからである。

 

奇跡講座テキスト  第21章  二 視覚に対する責任  6.