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自我に耳を傾ける者に対して自我の論証がもつ説得力を、過小評価してはならない。 狂気を弁護する陳述(自我の論証)は、正気を失っている者たち(自我と同一化している者たち)に説得力がある

 自我に耳を傾ける者に対して自我の論証がもつ説得力を、過小評価してはならない。 選択的知覚は証人たちを注意深く選び出すので、その証人たちには一貫性がある。 狂気を弁護する陳述は、正気を失っている者たちに説得力がある。 というのも、論法はそれが始まるところで終わり、いかなる思考体系もそれ自体の源を超えることはないからである。 だが、意味の欠けた論法には、何を論証することもできず、それに説得されている者たちは必ず惑わされている。 真理を見落としている自我が、真に教えることなどできるだろうか。 自我は自ら否定したものを知覚できるだろうか。 その証人たちは、自我が否定しているということは確かに証言するが、それが何を否定したかについて証言することはほとんどない。 自我はを正面に見ながらが見えない。 自我は神の子を否定したからである。

 

奇跡講座テキスト 第11章  五 自我の「力動論」  16.