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このコースの後半のいくつかのステップは、神ご自身への直接的なアプローチが伴う。 こうした後半のステップを周到な準備なしで始めることは賢明ではない

 すでに述べたような恐れと畏怖の混同は頻繁に起こることであるため、堅固な土台が必要である。 あなたは自分と対等なものの面前で畏怖の念を抱くべきではないので、畏怖の念は神の子との関連では不適切だと、私は述べた。 しかし、創造主臨在の前では、畏怖の念がふさわしいという点も同時に強調した。 私は贖罪における私の役割を、誇張することも控えめに述べることはせずに、明確にしようと注意を払ってきた。 私はあなたの役割についても同じことをしようとしている。 私が強調したのは、私たちの生来の対等性のゆえに、畏怖の念は私に対する反応としては適切ではないということであった。 しかし、このコースの後半のいくつかのステップは、神ご自身への直接的なアプローチが伴う。 こうした後半のステップを周到な準備なしで始めることは賢明ではない。 そのようなことをすれば、畏怖の念が恐れと混同されて、その経験は至福よりも精神的外傷トラウマをもたらすようなものとなってしまう。 癒しとは、最終的にはからのものである。 その手段は丁寧にあなたに説明されていく。 ときには啓示が到達地点を明かしてくれることもあるが、そこに到達するには手段が必要である。

 

奇跡講座テキスト 第1章  七 奇跡衝動の歪曲  5.