そうだとすれば、あなたにとって、神はいかに恐ろしい存在となっていることだろう! そしてまたあなたは、神の愛が何と多大な犠牲を自分に要求すると信じていることだろう! というのも、全面的な愛は全面的な犠牲を要求するということになるからである。 そうすると、神よりも自我からの要求のほうが小さく思え、自我は多少は恐れるべき悪かもしれないが、神のほうは破壊されるべき悪であり、二者の内では自我のほうがまだましだと判断される。 なぜなら、あなたは愛を破壊的なものと見なしており、あなたの唯一の問いは、自分と他者のどちらが破壊されるべきかということだけだからである。 あなたは自分の特別な関係の中でこの問いに答えようとする。 そうした関りの中では、あなたは部分的に破壊する者となったり、破壊される者となったりするが、完全にどちらかになりきることはできないように見える。 そして、あなたはこれが、神から自分を救うと思っている。 神の全的な愛は自分を完全に破壊してしまうと思っているからである。
奇跡講座テキスト 第15章 十 再生の時 7.