聖書「智識の木の実を食べる」の表現は、自己創造の能力を横領する(神が子の実相を創造する能力の横領/実相は自己作成が可能)ということを表す象徴的表現である。 そうである(共同創造者ではない)という信念は、「自己概念(自分の作る自己)」の中に、すなわち自らの形象(卑小な自己像)を作り出すという自己の傾向のうちにうかがえる

 智識の木の実を食べることは、自己創造の能力を横領するということを表す象徴的表現である。 この意味においてのみ、の被造物たちは共同創造者ではない。 そうであるという信念は、「自己概念」の中に、すなわち自らの形象イメージを作り出すという自己の傾向のうちにうかがえる。 形象イメージとは知覚されるもので、知られるものではない。 智識は欺くことはできないが、知覚にはそれができる。 あなたは自分自身を自己創造できる存在ものとして知覚することはできるが、それを信じる以上のことはできない。 そしてすでに述べたように、ついに正しく知覚するようになったとき、自分にはそれができないことをただ嬉しく思うはずである。 しかしその時がくるまでは、自分にはそれができるという信念があなたの思考体系の土台をなす礎石であり、あなたはあらゆる防衛を使って、その信念を明るみに出すかもしれないすべての考えを攻撃する。

 

奇跡講座テキスト 第3章  七 創造 対 自己イメージ  4. /1