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苦痛の目的は、快楽と同じである。 なぜなら、両者はともに肉体を実在のものにするための手段だからである。 (苦痛も快楽も肉体〔外側の世界〕によって自己の幸不幸が決まるという幻想を実在にしようとするものであり、)同じ目的を共有するものは、同一のものである

 苦痛は、肉体が実在するはずだと証言する。 それは大きくてやかましい声であり、その悲鳴は聖霊の話をかき消し、聖霊の言葉をあなたの自覚から遠ざける。 苦痛は否応なしに注意を喚起し、それを聖霊から引き離してそれ自体へと向けさせる。 苦痛の目的は快楽と同じである。 なぜなら、両者はともに肉体を実在のものにするための手段だからである。 同じ目的を共有するものは同一のものである。 これが目的の法則であり、目的を共有するものたちをそれ自体の内にひとつに結びつける。 快楽と苦痛は決して達成できないことを目的としているので、どちらも等しく実在しないものである。 したがって、それらは何のための手段でもない。 それらのもつゴールに意味がないからである。 それらはその目的に意味が欠如しているという点を共有している。

 

奇跡講座テキスト  第27章  六 罪の証人たち  1.