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自我は決して理性(正しい心)を用いないが、それは、理性が存在することがわかっていないからである。 部分的に狂っている者(自我との同一化が緩み始めている者)ならば、理性に近づくことができ、彼らのみが理性を必要としている

 信と知覚と信念が間違った対象に向けられることは可能であり、真理のためと同様に、老獪ろうかいな詐欺師の必要を満たすために働くこともできる。 しかし、狂気の中に理性の居場所はなく、狂気の目的にかなうよう理性を調整することもできない。 信も信念も、狂気の中では強力であり、心が価値を置いたものに向かって知覚を導く。 しかし、理性はまったくこの中には入っていかない。 なぜなら、理性が適用されたなら、その知覚はたちまち崩壊するからである。 狂気は全面的に理性の不在に依拠しているので、その中に理性はない。 自我は決して理性を用いないが、それは理性が存在することがわかっていないからである。 部分的に狂っている者ならば、理性に近づくことができ、彼らのみが理性を必要としている。 智識は理性に依存せず、狂気は理性を締め出す。

 

奇跡講座テキスト  第21章  五 理性の機能  8.