自我は、今や、あなたが誰の中にも罪悪を見ないでいることは不可能だと保証する。 理性(正しい心/聖霊の見方)は、想念を真とするか偽とするかを決めるのは、その源だと見る

 理性も自我も共にこのようにあなたに教えるだろう。 しかし、両者がそれをどう解釈するかは同じではない。 自我は今や、あなたが誰の中にも罪悪を見ないでいることは不可能だと保証する。 そして、このような見方が罪悪感からの脱出を達成できる唯一の手段であるのなら、罪悪への信念は永遠に続くことになる。 だが、理性はこれを別の見方で見る。 なぜなら、理性は、想念を真とするか偽とするかを決めるのは、その源だと見るからである。 想念がその源と同質であるのなら、これが真実のはずである。 したがって、理性の語るところによれば、もし罪悪感からの脱出が聖霊に与えられた目的であり、それを与えたのがその意志するところに不可能はない存在ものだとしたら、その達成の手段は単に可能というだけではない。 それはそこにあって、あなたはそれをもっているはずである。

 

奇跡講座テキスト  第22章  二 あなたの兄弟の無罪性  5.