時間は自我による信念の一つなので、自我の領域をなす低次の心は、疑問を抱かず時間を受け入れる

 繰り返し強調してきたことだが、心の一つのレベルは、もう一方のレベルにとっては理解不可能である。 自我と聖霊についても、時間と永遠についても、同じことが言える。 永遠とはからの想念なので、聖霊はそれを完璧に理解している。 時間は自我による信念の一つなので、自我の領域をなす低次の心は、疑問を抱かず時間を受け入れる。 時間の中で唯一の永遠なる側面は、傍点)だけである。

 

奇跡講座テキスト 第5章  三 救済への導き手  6.