いかなる形をとるように見えても、誘惑とは常に、自分自身ではない自己でありたいという願望を反映しているにすぎない。 そして、その願望から一つの概念が生起し、その概念が、あなたは自分で願う通りのものであると教える。 それは、それを生み出した願望が大切にされなくなるまで、あなた自身についての概念であり続ける。 しかしあなたがその願望を大切にしている間は、あなたの眼に映る兄弟は、あなたから生まれた願望を抱く形象である自己の似姿ということになる。 見るという行為は願望を表象することしかできない。 なぜなら、それには創造する力がないからである。 しかしそれは、自分が見ている対象とつながり合いたいか、それとも自分を分離した別個のものとしておきたいかという単純な選択次第で、愛を抱いて見ることも、憎悪を抱いて見ることも可能である。
奇跡講座テキスト 第31章 七 救済者の心眼 12.