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思考体系は、その土台からしか疑問視できない。 その土台(その土台自体)は、その思考体系を超えたところから疑問視しなければならない。 そこ(自我の土台)から生まれるものはすべて何の意味もない。 聖霊は、あなたが保持する信念の一つひとつを、それがどこ(どの土台/つまり愛か恐れか)からきているかという観点から判断する

 私はすでに、自我は真の質問が何かを知らないと述べた。 智識の欠如はいかなる種類のものでも、知る意欲のなさと常に関連しており、これは、智識は全的なものだという単純な理由により、智識の全面的な欠如を生み出す。 したがって、あなたの卑小さを疑わないということは、一切の智識を否定することであり、自我の全思考体系を完全に保つことに他ならない。  思考体系の一部のみを保持することはできない。 なぜなら、思考体系はその土台からしか疑問視できないからである。 そして、その土台はその思考体系を超えたところから疑問視しなければならない。 なぜなら、その内側では、その土台には確かに有効性があるからである。 聖霊が自我の思考体系の実在性を否む審判をする理由は、単に、聖霊はその土台が真実ではないと知っているからである。 したがって、そこから生まれるものはすべて何の意味もない。 聖霊はあなたが保持する信念の一つひとつを、それがどこからきているかという観点から判断する。 それがからのものであれば、聖霊はそれが真実であると知る。 それがからのものでなければ、聖霊はそれが無意味であると知る。

 

奇跡講座テキスト 第9章  七 二つの評価  7.