肉眼が見ることのできる一切は、間違いである。 それは、知覚における誤りであり、全体(全体性/全一なるもの)がもたらすはずの意味を欠く歪曲された断片である

 誤りのもつ形態のみが、自我を惹きつける。 意味については、自我は認識せず、その有無を調べることもしない。 肉眼が見ることのできる一切は間違いである。 それは、知覚における誤りであり、全体がもたらすはずの意味を欠く歪曲された断片である。 それでも、間違いは、その形態にかかわらず、訂正されることが可能である。

 

奇跡講座テキスト  第22章  三 理性、および、誤りの形態  4. /1