神の子を罪悪に縛りつけるのはこの鎖であり、神の子の神性な心から聖霊が取り除こうとしているのもこの鎖である。 なぜなら、この残忍さの鎖は、神の接待主に選ばれた者を縛るべきものではなく、神の接待主は自らを自我の接待主にすることはできないからである。 彼の解放の名において、そして彼を解放する存在の名において、自我が企む関係をさらによく見て、それを聖霊によって真に判断してもらおう。 それらを直視すれば、あなたが喜んでそれらを聖霊に差し出すことは確実だからである。 聖霊がそれらをどのようなものにできるのかをあなたは知らないが、もしあなたがそれらの関係から自分が何を作り出したのかをまず知覚したいと思うようになれば、聖霊に何ができるかを知りたいと思うようになるだろう。
奇跡講座テキスト 第15章 七 不必要な犠牲 5.