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知覚の法則についての自我の解釈は、聖霊の解釈の正反対であり、また正反対とならざるを得ない。 自我は誤りに焦点を当て、(その結果、)真理を見過ごす

 知覚の法則についての自我の解釈は、聖霊の解釈の正反対であり、また正反対とならざるを得ない。 自我は誤りに焦点を当て、真理を見過ごす。 自我は自分が知覚する誤謬のすべてを実在するものとし、自我に特有の循環論法で、そうした誤謬のゆえに、一貫性のある真理などというものは無意味に違いないという結論を下す。 そうなると、次の段階は明らかである。 一貫性のある真理が無意味だというのなら、一貫性のなさが真実に違いない、ということになる。 誤りをはっきりと心に保ち、自分で実在のものとした対象を守りながら、自我はその思考体系の次の段階へと進んでいく。 すなわち、「誤りは実在し、真理は誤りである」という段階である。

 

奇跡講座テキスト 第11章  五 自我の「力動論」  14.