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奇跡講座に取り組むには、以下のことにはっきりと気づく、認識している必要があります。
すでに分かっている人には同意していただけると思います。
そうでない人にとっては、怒り出す人もいるかもしれません。
ごく当たり前のことですが、念のためあらためて整理しておきたいと思います。
「雨が降るのも自分の問題。」
これはビジネスシーンでよく語られる話です。
「雨が降るのも自分の問題。」
せっかくの新店オープンの日に雨や雪が降って客足が遠のくことはビジネスではよくあることです。
それを客や天候のせいにしていてはビジネス、ひいては人生ままならない、という教えです。
松下幸之助さんの言葉だそうです。
人のせいにすることでは解決しないと真に悟る必要がある
私たちはよく人や何かのせいにします。
人のせいにすることで嫌な気持ちを軽減しようとします。
ここでは人のせいにするのはやめましょう、という話ではありません。
人のせいにすることは別にダメなことではありません。 そうしたければいくらでも人のせいにして構いません。 人生してはいけないことなど何もないですし、するなと言っても人はするもの。 とはいえ、人のせいにすることでは何も解決しません。 この人のせいにすることでは解決しないと真に悟るとき、そのときはじめて人は人のせいにするのを止めることができます。
それまではおそらく無理でしょう。
努力や頑張り、我慢でもってできるものではありません。
果実が熟れて地に落ちるがごとく、自然に気づく、あるいは生き方としてそういう在り方を常に選んで生きる、意識し続けることで何とかなるかもしれません。
とにかくもっと人生経験、人間関係を積む必要があると思います。
そのためにはまだまだこれからも散々人のせいにする必要があるかもしれません。
何も解決しない葛藤経験を繰り返し何度も直面する必要があるかもしれません。
愚痴や人のせいにしても問題は解決しない、という自覚が奇跡講座を始める人には必要
人のせいにすることは楽です。 人のせいにすればいいのですから。
ですが、何も解決をもたらしません。
人は悟るまで、人のせいにし続けます。 そうするといつまでたっても望む結果が得られないことにいずれ直面します。
ようやくそこで人は何かに気づきます。
たいてい人は行くところまで行かないと気がつかない存在です。
少なくともそこまで行かないと「変だな、何かがおかしいな」と気づかないものです。
愚痴も同じです。
少なくともこの愚痴や人のせいにしても問題は解決しない、という自覚が奇跡講座を始める人には必要です。
奇跡講座はここでとどまりません。 さらにこの先に進みます。(奇跡講座ではさらに難易度の高いテーマに取り組むことになります。)
ですので、まずここまでははっきりと認識できていないと奇跡講座はままなりません。
人のせいにできるのはまだ余裕がある証拠
人のせいにできるのはまだ行くところまで行っていない、究極に困った状況にまだない、つまりまだ余裕がある証拠。 ほんとうにどうすることもできず人のせいにしていては解決し得ないことを悟ったときに人は初めて別の選択をし始めます。
「人は変えられない。 変わるべきは自分のみ」
相手を変えることはできません。 変わるべきは自分の心だけです。
自我は投影によって嫌な気持ちを解決しようとします。
それが人や病気や何かのせいにする、ということです。
このことは、人生を通して遅かれ早かれいずれ気づく、悟るものです。
あなたが為すべき唯一のこと
奇跡講座でも以下のようにはっきりと述べられています。
これから述べることが、心眼や幸福や、苦痛からの解放や、罪からの完全な脱出のために、あなたが為すべき唯一のことである。 ただ次のように言いなさい。 ただし、ためらいなく、本気で言わなければならない。 なぜなら、ここに救済の力があるからである。
私が見ているものについての責任は、私自身にある。
私が経験する感情を選択するのは私自身であり、私が達成したいゴールを決めるのも私自身である。
そして私の身に起こるかに見えるすべては、私が求めて、求めた通りに受け取るものである。
自分に対して為されることを前にして自分は無力であると、これ以上自分を偽るのはやめなさい。 自分が間違っていただけだと認めなさい。 そうすれば、あなたの間違いの結果はすべて消え去るだろう。
奇跡講座テキスト 第21章 二 視覚に対する責任 2. より
とはいえ
とはいえ、これらのこと「愚痴や人のせいにしても意味がない」が自覚出来ているのであれば、多少の愚痴や人のせいにすることは誰しもあることですし、そこまで問題ではないと思います。
もちろん、赦しがもっと進んでこういった微妙なものまで直視する時期に来ているのであれば、逃さず赦しに向き合うものではあるのかもしれませんが、赦しが普遍化できていない状態であればそれはむりです。
また赦しが進んでいけばこういったことも減っていきますし、自然と消えます。
頻繁に愚痴や人のせいにするのはどうかと思いますが、多少出る分にはそれを厳格に制限するほうがかえって人間関係の円滑性を損なうことにもなりかねません。
相手を変えたいという動機ではなく、ただ口をついて出てしまう、単に言いたいだけのものであれば、今はそこまで気にする必要はないと思います。
問題になるのは、禍根の残る、いつまでも印象が去らないような「愚痴や人のせいにする」ような場合です。
こちらは確実に相手を変えたい気持ちが土台になっているはずです。
そのようなものは赦しの対象となります。
いずれにしても赦しが必要かどうかは自分の感情を見ることで確認してください。
JACIMサイト Q&Aにある他の理由
JACIMサイトQ&Aに『奇跡講座』に近づくにはまだ早い他の理由の記事がありますので参考にしてください。
正直なところ、「少なくともあと20年くらいは 『奇跡講座』 には近づかないように!」と、申し上げたいくらいですね(笑)。 冗談はともかく、このコースに関心を抱くのは中高年以上の人々であることが多いのですが、それにはそれなりの理由があるのです。(中略) ・・・まずはこの世界におけるあなたのゴールを追求してください。それについて罪悪感を感じたりしなくていいのです。
「健全な自我を育てることの大切さに関する2つのQ&A」 JACIMサイト Q&A - No.71 より
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