罪を証言しながらそれを赦すというのは、理性が理解することのできない矛盾である。 それは、自分に対して為されたことは赦しに値しないと主張する。 そして赦しを与えることによって兄弟に慈悲を施すが、彼は本当は無垢なる者ではないという証拠をもち続ける。 病んでいる者は告発者であり続ける。 彼らは兄弟も自分自身も赦すことができない。 真の赦しを内に宿している者が、苦しむことはあり得ない。 彼は罪の証拠を兄弟の眼前に掲げるようなことはしない。 したがって、彼はそれをすでに看過し、自分の目からも取り去っているはずである。 赦しが、片方だけのもので、他方には与えられないということはあり得ない。 赦す者は癒される。 彼が癒されることで、彼が本当に赦したことが示され、もはや彼自身やすべての生けるものに対して振りかざしたくなるような咎めの気持ちを、微塵も保持してはいないと立証される。
奇跡講座テキスト 第27章 二 癒しに対する恐れ 3.