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いま見ている見方は間違っているという認識、その意欲、違った見方で見ること自体が、聖霊の声 - JACIM【質問】No.8より

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  JACIMサイトQ&A【質問】No.8からです。

 

 聖霊を聞きやすくするための方法や練習についてのQ&Aが展開されています。

 

 聖霊を聞きたいのなら、その前に、聖霊を聞かないようにしている選択を自分自身が行っていることの責任を受け入れることが必要だと述べられています。

 

 その中で、「聖霊とはこういうものです」ということが述べられています。

 

 

聖霊の声とは

 ワプニック氏の説明ではこうです。(下線は当方による)

 

 

聖霊とは、現実には声ではなく、たいてい、何らかの状況や人物や事柄について自分がいま見ている見方は間違っているという認識や、それらを違った見方で見ようとする意欲などです。ですからその瞬間には、その認識や、その意欲や、違った見方で見ることが、聖霊に他なりません。

 

 

 

 つまり、こういうことです。

 

  • 何らかの状況や人物や事柄について自分がいま見ている見方は間違っているという認識
     
  • それら(自分がいま見ている見方)を違った見方で見ようとする意欲

 

 

 

 これらの認識や意欲が聖霊であるということが書かれています。

 

 

 

 

 JACIMサイトQ&A【質問】No.8より

 

https://www.jacim.com/acim/?p=1280

 

 

聖霊の声についての追加見解

 このQ&Aでは言及されていませんが、『奇跡講座』では少なくとも聖霊を2つの意図で使い分けされている印象を持ちます。

 

 

 1つ目は、前述のQ&Aにあったように、認識や意欲、すなわち自我の想念ではない領域、つまり聖霊側の想念に属するもの「正しい心の状態」をすべて便宜上、聖霊として扱っている部分です。

 

 このように大枠で使われているところは、以下ほぼ同じ意味で使われていると見てよいでしょう。

 

 

聖霊=正しい心の状態=赦し=奇跡=癒し=贖罪=キリスト=真の自己=実相=聖霊側の想念に属するものすべて=側の想念

 

 

 

 もう一つは、『奇跡の原理』の著書内にもある通り、赦しの実践の中でのステップ3に到達したときに自分自身の奥から自分の認識している領域ではない別の領域からやってくるインスピレーション(霊感)です。

 

 

 

聖霊は、私たちの心を通して私たちとコミュニケーションを行います。 そして、私たちが受け入れられるどんな手段や媒体でも使います。 ですから、それは私たちが「直感」と呼ぶものであったり、イマジネーションであったり、突然のひらめきや洞察であったり、夢であったり、私たちに「聞こえ」て、自分自身のものではないとわかる言葉や考えを受け取っているという感覚、などであるかもしれません。

 

 『奇跡の原理』― 奇跡講座「50の奇跡の原理」解説 ケネス・ワプニック(著)(P.46)より

 

 

 

 以上、このような使い分けがされていると理解すると分かりやすいかもしれません。