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「あなたは幻想を見ている」について

最終更新:  作成開始: 4-05-19 最後↓

 

究極的には「この世界は幻想」だが

 奇跡講座のレベル1で言及されているところの、究極的にはこの世界自体が幻想であり存在しない。 つまり「世界はない」。

 

 だが、少しでも実相から離れた部分をもつ今の我々にとっては「世界はある」。 むしろこの「世界」が無ければ、この「世界」を使って幻想を解くことができなくなる。

 

 そして幻想をすべて解き終え、完全贖罪により本来の自分である実相のみが存在するところまで戻れば、この世界は役割を終え、消滅する。

 

 だが、そこまでくれば、この世界が幻想だろうがそうでなかろうが一切問題はなくなる。 もはやどちらでもいい、ということだ。

 

 だから、ことさらに「この世界は幻想」と連呼することにはあまり意味がない。

 連呼したところで、実際のところ今の我々にはこの世界はリアルに存在すると感じられることについては変わりはないからだ。

 

 

 

「あなたは幻想を見ている」の意味

 ここからは奇跡講座で言うところのレベル2の話だ。

 先ほどの「レベル」は概念的な話であり、今の我々には実質的には関係がない。 関係があるのはこのレベルの部分である。 実際に生活しているこの物理的世界においての話である。 この物理的世界で展開する善悪という二元的世界を赦しとして使いレベルに戻っていく、という話。

 

 このレベルにおける世界はあるがままであり、善いも悪いもない。 本来善悪に分けることのできないものである。 あるがままに見えている状態はなんら特別なことではなく、どんな人でもあるがままに見れている状態は存在している。 この状態においては、今の自分と実相との分離は起こっていない。

 

 一方、あるがままに見れていないときは、あなたはあるべき理想を世界に押しつける。 善悪二元に分かれ、自身の感情がネガティブに反応することによりその状態にある(本来の状態にはない)ことが示唆される。

 

 これは「あなたが外の世界を見るとき、まず最初に自身の心の内側にある判断基準を参照し、それを通して外の世界を見ている。」このとき、この判断基準が誤っている場合、幻想を見ている、つまり勘違い、思い違いしている、あるべき理想を目の前の世界に押しつけている、という仕組みである。

 

 

 

私たちの見ている世界は、自らの内なる判断基準を映し出しているにすぎない。 すなわち、心の中にある支配的な想念や願望や感情の反映である。 「投影が知覚を作り出す」(テキスト第二十一章・序・1)のである。

 

 奇跡講座テキスト 『奇跡講座』まえがき   ◆◆◆教義 (P.20) より

 

 

 

 

 

幻想直視の「幻想」とは、自分の内側にある「誤った判断基準」のこと

 我々は日ごろの生活においては、自分自身の内面がどのような判断基準をもって外の世界を見ているのか意識しない。 嫌な出来事に直面したとしても、直ちに「これは幻想である」と言える人は少ない。 外側に見える世界は「レベル」としてはあるがままにリアルに存在すると感じているから当然のことだ。

 

 だが、勘のいい人はおわかりかと思うが、「嫌な」出来事、つまりネガティブに感情が反応する出来事については、これは「誤った判断基準で世界を見ている」、つまり幻想を通して世界を見ている、ということになる。

 

 なので、「幻想」というのはここでは外の世界のことではなく、自身の内側にある「誤った判断基準」のことだ、ということが分かって頂けると思う。

 

 ただしこの時点ではまだ、「どうやらこの出来事において、自分には誤った判断基準がありそうだ、幻想を見ていそうだ」というところまでしか分からない。 どの部分が誤った判断基準になっているのかまでは判明していない。

 

 しかも常に意識して訓練を行っている人でなければ、ただちにそのように「どうやら今のこの自分は幻想を見ていそうだ」という認識にすら到達できない。 到達できない場合はこの感情の原因を「投影」という形で外側の世界に糾弾の矛先を向け、咎め非難する。

 

 赦しには、幻想センサー(幻想への警戒体制)と、感情を辿ることでそれがどんな判断基準によるものなのかをあるがままに見ていく幻想直視と呼ばれる作業が必須となる。

 

 

 

あなたは自我を守るために警戒できるのと同じく、自我に対し警戒することもできると、私はすでに述べた。 このレッスンは、自我に対し警戒できるだけではなく、必ずそうしなければならないと教える。

 

 奇跡講座テキスト 第6章  五 聖霊のレッスン   C 神と神の国を守るためだけに警戒していなさい。  4. より

 

 

 

幻想を直視しない限り、誰も幻想から逃れることはできない。 見ないでいることにより、幻想が保護されているからである。

 

 奇跡講座テキスト 第11章  五 自我の「力動論」  1. より

 

 

 

恐れが地下に潜伏し、闇に紛れ、その正体とはまるで違った形で浮上してくるまでに通過する入り組んだ道すじを、すべて辿っていく必要はない。 だが、あなたがそれらの形のすべてを支配している原則をもち続けている間は、それぞれの形を点検することは確かに必要である。

 

 奇跡講座テキスト 第15章  十 再生の時  5. より

 

 

 

癒しとは、智識の前に立ちふさがるすべてのものを取り除くこと以外の何だろう。 そして、幻想を保護せずにじかに見つめること以外に、どのようにして幻想を一掃できるだろう。

 

 奇跡講座テキスト 第11章  五 自我の「力動論」  2. より

 

 

 

幻覚はその正体が認識されたときには、消え去る。 これが癒しであり、治療法である。

 

 奇跡講座テキスト  第20章  八 無罪性の心眼ヴィジョン  8. より

 

 

 

  

 赦しを行う者たちはみな、こういった訓練を経てここまで来ている。