あなたが誰かを愛する(つまり赦す/贖罪を受け入れる)とき、あなたは彼をありのままに知覚したのであり、これによって、あなたが彼を(真に/一なる子として)知ることが可能になる。彼について(自我により)質問をしている間は、あなたは明らかに、自分は神を知らないと言っていることになる

 聖書はあなた自身を知るように、つまり、確かであるようにと勧めている。 確かさとは、常にからのものである。 あなたが誰かを愛するとき、あなたは彼をありのままに知覚したのであり、これによって、あなたが彼を知ることが可能になる。 彼をまずありのままに知覚するまで、あなたは彼を知ることはできない。 彼について質問をしている間は、あなたは明らかに、自分はを知らないと言っていることになる。

 

奇跡講座テキスト 第3章  三 知覚 対 智識  5. /1