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奇跡をもたらす存在(聖霊)は、(さまざまな名称で呼ばれる苦しみの)それらすべてを、恐れと呼ばれているひとつのものとして知覚する

 奇跡は、罪の証人たちにつけられたいくつもの名前を区別することはしない。 奇跡はただ、そうした名前が表象しているものには何の結果もないことを証明するだけである。 そして、奇跡自体の結果がやってきて罪の証人たちに取って代わることにより、奇跡はこれを証明する。 あなたが自分の苦しみをどのような名前で呼んだかは問題ではない。 それはもはやそこに存在してはいない。 奇跡をもたらす存在ものは、それらすべてを、恐れと呼ばれているひとつのものとして知覚する。 恐れが死の証人であるように、奇跡は生命いのちの証人である。 奇跡は誰にも否定できない証人である。 それが運んでくるのは生命いのちがもたらす結果だからである。 死にかけた者は生き、死者はよみがえる。 そして、苦痛は消滅した。 しかし、奇跡はそれ自体のためにではなく、それが表象しているもののために語るのである。

 

奇跡講座テキスト  第27章  六 罪の証人たち  5.